松田円 『それだけでうれしい』

それだけでうれしい (まんがタイムコミックス)

それだけでうれしい (まんがタイムコミックス)


「どこかで分かっている
動いて壊すなら大事に眺めていたい
それだけでうれしい
…けれど……」

―あらすじ―


 和菓子屋の娘の夕子と、喫茶店のマスターである将一は、腐れ縁の幼なじみ。惚れっぽく、そのたびに振られる将一に対して、夕子は甲斐甲斐しくぼた餅を差し入れる。夕子は、実は将一のことが好きなのだが、その気持ちに将一は全く気がつかない。そんな関係がずっと続いていくように思えたが…

―感想―


 絵柄や舞台、そして日常描写がほのぼのとした雰囲気が存分に出ています。それだけで個人的には楽しく読めたのですが、さらに思うところがありました。それは、固定された人間関係が変化していく様を、丁寧にかつ情緒的に、描いているところです。それに伴う登場人物の葛藤も十分に引き出されていて、読み応えがありました。


 本作品の主な登場人物である、夕子と将一は、腐れ縁の幼なじみです。夕子は、将一のことを好きなのですが、幼なじみの関係が壊れるのが怖くて、身動きがとれません。そのため、好きな人と居られる現状に満足しつつも、恋人以上になれないもどかしさを感じています。他方で、将一は、夕子のことを「地面」のように、無くてはならないのに、普段はまったく意識することができません。他のきれいな女の人に惚れては振られる、ということを繰り返しています。


 以上のような関係が、最初の数話で描かれます。この関係を象徴するのが、バレンタインデーのときの話です。夕子は、いつものぼた餅ではなく、生チョコ大福を差し入れに持って行きます。ところが、将一はぼた餅に固執したあげくに、夕子とバレンタインは無関係だろう、というように切り捨てます。そうして、二人はケンカに至ります。ここには、先に述べたような二人のいびつな関係、そして、「それだけでうれしい」というタイトルに含まれている葛藤がまさに現れていると思います。


 その後、新たな登場人物が出てくることによって、物語は変化を迎えます。いびつだけれども、長く続いた関係を変化させるきっかけを作ったのは、新たな人物でした。その人は、和菓子屋の息子である三好で、夕子のお見合い相手として登場します。そして三好は、夕子に対してアプローチをどんどんしていきます。


 三好が新たに出てきて、夕子と将一の関係に少しだけ変化が出ます。このことを象徴するのが、リニューアルぼた餅に対する態度です。将一は、「このままでいいのに、なんで変えようとするんだ」と拒否します。夕子は、将一の態度に悩みつつも最後には、「けれど、もう一歩だけでも踏み出せたら、もしかしたら違う景色が、新しい何かが見えるかもしれない」と、変わることに対して肯定的になります。この態度の違いが、二人の関係を変化させていきます。


 ここから物語は終わりへと向かっていきますが、最後に面白いところがあります。変化を避けようとする人物が、夕子から将一に変わっているところです。将一は、今まで通りの関係を望み、それが変わらないはずと思っています。けれども、どこか不安に思ったり、物足りなさを感じています。実際は、三好と夕子が接近して、将一は夕子とケンカしなくなります。つまり、「地面」のように近くにいた夕子が、「一番そばにいる」人ではなくなってしまっていました。将一はこの変化を自覚できなくても、不安に覚えています。このように将一も「それだけで」「このままで」と思うようになっているのです。この葛藤する人物の変化が、また面白いところでした。


 以上、長々と解説のようになってしまいましたが、まとめると、本作はありふれた題材を用いながらも、心理描写を丁寧に描いていて、その気持ちを理解することができる、よい作品だと思います。オススメです。