麻生みこと 『天然素材でいこう』

天然素材でいこう。 第1巻 (白泉社文庫 あ 5-1)

天然素材でいこう。 第1巻 (白泉社文庫 あ 5-1)


「私は放っておけるの?」
この言葉をなかなか言わないヒロインが珍しいです。
その背景をきっちり描いている所がとても好感でした。

感想


 人物の内面に深く切り込んでいます。それだけならば、作品として良いか悪いかは別として、重い話になります。ラブコメの体裁をとっているにも関わらず、内面の深い描写をしているところに、本作品の面白い点と思いました。


 例として、ヒロインである二美を挙げます。彼女は、容姿は人並みであるが、特殊な側面を大いに持っています。また、普通な側面をも持ち合わせている女の子でもあります。


 特殊なところは、三点あります。一つ目は他人の先入観や価値観をあてにしないところ、二つ目は誰に対しても構ない懐の深さ、三つ目は自分で物を考え、他人を受け入れたうえで、ポジティブに行動するところ、の三つです。
これらの特徴をまとめると、どんな人にも自分で人物を見つめ、受け止め、プラスに再解釈してくれるというものです。まるで聖人君子です。言いかえるならば、地に根付いた強さを持っています。


 他方で普通な一面は、たった一つです。高雄との恋愛です。特殊なところとは異なって、高雄が関わると、全面には出さないが、独占欲を持っています。悩んだりする年相応の弱い部分も持っています。


 ところで、二美は映画の翻訳家になるという夢を持っている人物として描かれます。翻訳家などの映画に関わる人々を分類することによって、二つの側面を再解釈して、結びつけることができると考えます。


 映画に携わる人々を三つに分けると、役者、スタッフそして観客です。この三つで二美の夢を解釈してみます。二美は観客として、幼い頃から映画を観て育ちます。そこから、スタッフ(翻訳家)として役者を支えたい、という夢を持ちます。映画を作成する側に回っても、役者になろうとはしません。演る側にはならずに、あくまで観る側として携わろうとします。この姿勢は揺るぎないものであり、日々翻訳家という夢を語るに見合うだけの努力を行うような「強い」人間として二美は表現されています。


 しかし恋愛では、「弱い」人間として描かれます。二美は高雄と付き合うのですが、普段の強さとは対照的です。ちょっかいを出してくる千津、さらに千津を放っておけない高雄、に対して怒ることができずに悩みます。これをどう捉えるか、という所が難しいところだと思います。ここで、上で述べた三つの分類で解釈してみます。


 恋愛関係ならば、お互い「役者」でもあり、「スタッフ」でもなければならないと考えます。言いかえれば、「役者」のように自己を主張し、惹かれる部分、そして相手を理解し包み込む「スタッフ」のような部分、この両方がなければいけないと考えます。そうでなかったら片一方だけを、相手の全てとして捉えていることになります。これでは、偶像崇拝と一緒です。それでは、二美は高雄に対して、「役者」でもあり「スタッフ」でもあれたかというと、できませんでした。「役者」としてありたいという潜在意識はありつつも、それにフタをしていました。このことは、怒らずに悩み続けたことに繋がると考えます。


 以上、ヒロインの二美を例として『天然素材でいこう』の内面描写の深さについて述べてきました。その他の登場人物も、恋愛や夢に思い悩みます。その心理に大胆に踏み込んでいます。ラブコメで、内面にこれほど切り込んだ作品は、なかなか無いと思います。是非、読んでみて欲しいと思います。