田中メカ 『お迎えです。』

お迎えです。 第1巻 (白泉社文庫 た 7-1)

お迎えです。 第1巻 (白泉社文庫 た 7-1)


「この痛みも
悲しみも辛さも
いつか暖かく
懐かしくなるのなら――」


笑えるし、切ない、とバランス感覚に長けている一品です。



―感想―


 読んでいて、いろんな感情が出てきました。切ないし、楽しいし、心暖かいし、というような様々な感情です。個人的に、それらの中では、「心暖かい」気持ちが強いです。その原因を考えてみたいと思います。


 まず、この物語の基本的な構造から考えてみます。未練を残す幽霊の願いを聞いて成仏させる、というのが基本的なお話です。現実の世界では、もし死んでしまったら、強く求めることであっても、願いを叶えることはできません。よって、死んでしまった人に大きな未練が残ることは、容易に想像がつくでしょう。けれど、その未練を解決することができたら、というところから本作は始まります。つまり、現実には「求めるのに叶わない」というテーゼがあるのに、それが覆るのならば…、というのが物語の主な構造になっています。


 未練を具体的にどのように解決するのかというと、幽霊がえんちゃんか阿熊さんの体の中に入って、その未練を擬似的に、または間接的に解消します。「求めるのに叶わない」ものが形を少し変えて叶う、ということになります。その過程を見ていると、切なかったり、心暖まったり、となんとも言えない複雑な気持ちになりました。


 幽霊になった人にとって、未練を解消することは、うれしいことだと思えます。第三者としてならば、それは粋だったりさりげなく優しい、と思えます。だから、心暖まるという気持ちがあります。他方で、幽霊になるまで強く求める願い自体が切ないと思えるし、それを受け止めるえんちゃんや阿熊さんの切ない気持ちにも共感できます。また、幽霊の未練の対象が他人にあった場合、その未練の解決後に幽霊となった人を思い出す、という情景にも切なさが散りばめられています。以上のように、物語の構造からは、切ないし、心暖かいし、という二つの感情が織り混ざります。


 ここで、キャラクターの方に目を移すと、そこには楽しいという気持ちがあります。まずは、あの世の幽霊を成仏させる会社に勤める二人、ナベシマさんとゆずこちゃんからはじめます。ナベシマさんは、お仕事中に着ぐるみ(だいたいウサギ)を着ているように、なんだかいい意味で幼稚です。ゆずこちゃんは、ちんまくて、様々なコスプレに身を包んでいて、可愛いです。


 そんな二人にバイトとして関わるえんちゃんと阿熊さんの二人に移ります。えんちゃんは、感情をあまり顔に出さないようで、いきなり体を幽霊に貸したりして、どこか軽いノリを感じます。そして、阿熊さんは男勝りで、猪突猛進に動き、表情豊かで、ほほえましいです。静と動、といった二人の対照的な性格は見ていて面白いです。以上のように、キャラクターは、全員から楽しい気持ちを感じました。


 今までの文章を振り返ると、どこか心暖まるのが一番だったという所が見えてきません。それでは、なぜ一番心暖まったのかというと、本線の物語と重なりつつも、別で出てくるもう一つの物語にあったりします。


 本作の途中から、「求めるのに叶わない」というテーゼをえんちゃんも阿熊さんも抱えることになります。阿熊さんは、ナベシマさん(本当はあの世の人)に対する叶わぬ恋であります。そして、えんちゃんの方は、ちさっち(えんちゃんのことを好きであり、告白してから成仏した幽霊)に対して抱いていた恋心を伝えられなかったことです。ただ、二人の間に、テーゼの切なさに多少違いがあります。阿熊さんは、ナベシマさんに恋心を伝えることができますが、えんちゃんにはそれができません。伝えることすら叶わないのです。完全な死人に対する未練をえんちゃんは抱えているのです。未練のベクトルが逆転していますね。そこで、物語はえんちゃんが痛みや悲しみやつらさを乗り越える、というもう一つの線を少しずつ含んでいきます。


 最終的に、えんちゃんはちさっちに想いを告げることができ、その想いが涙として昇華していく過程に心暖まりました。特に、えんちゃんが泣きながら、阿熊さんと鍋をつついているシーンには唇が緩みました。


 以上が、一番心暖まった気持ちが強かった理由です。本作は、楽しいし、切ないし、最後に心暖まる、といった感じです。ふとしたときに読み返したくなりそうな作品です。