たなかのか 『タビと道づれ』

タビと道づれ 1 (BLADE COMICS)

タビと道づれ 1 (BLADE COMICS)


「哀しい星座のお話も
空からさかさまにしたら
楽しい終わりにできるかな?」
星をモチーフに、人と人との繋がりを描いた優しいお話。

―感想―


絵本、童話のようなやさしい物語です。淡い、水彩画のような柔らかいタッチが、そのやさしさを引き立てていると思いました。謎解きの要素もありますが、どっちかというとそれはメインじゃないようにも思いました。そのおとぎ話にあるようなやさしさこそが主軸なのだと思いました。


そんなおとぎ話において、登場人物達は夏の海辺の街の中で不思議な物事に遭遇し、その過程で哀しい気持ちや寂しい気持ちが解消されていきます。お話は、タビが学校をさぼって、昔住んでいた町にいる「航ちゃん」に会いにいったけれども、昔の街はずっと同じ「今日」を繰り返し、街の中の「路」は人を喰うようにおかしくなっていた、というものです。


登場人物みんなはトラウマを抱えています。自分の世界の中だけでぐるぐる回っています。そういう人ほど重要人物になっている世界なので、話を重ねるにつれてだんだん重い話になっていきます。そういう点では、最初にあまり情報を与えなかったことと、同じ立場にあるタビとユキタを中心にしたのは正解だと思います。また、可愛らしい絵柄や淡いタッチも合っていると思います。これらのため、取っつきやすかったです。


ただ、これらの入りやすさが、逆に話の重さを引き立てているようにも思いました。タビやニシムラさんの方が、この世界に近く、深刻なトラウマを抱えていた点が見え始めてから、話の重力がグッと強まっています。4巻辺りから、どんでん返しが始まっています。この話の転換が、最後のやさしさを引き立てているように感じました。人と繋がることを怖がらずぶつかっていくことが大切で、一度手をつなげて、温度を渡し合ったら、離れても心の中では星座みたいにつながっている。だから怖がらないで、自分を見捨てないで、「わたしを渡して」行けばいい、っていうことが伝わりました。


一歩踏み出す勇気をくれるお話です。

西炯子 『娚の一生』

娚の一生 1 (フラワーコミックスアルファ)

娚の一生 1 (フラワーコミックスアルファ)


「…だから?早よおいで 腕疲れる」
大人のエロさがぷんぷんする恋愛話。

―感想―


三十半ばの有能な会社員である堂園つぐみと、五十初めの大学教授の海江田醇の恋愛物語です。自分よりもずっと年上の恋愛を読んだ感想を一言で言うと、グッときました。恋愛とエロさが同居していて、とても艶めかしいと思いました。大人の恋愛を楽しめました。でもそれだけじゃなくて、不器用な面も多く出てくるので、十分共感できました。


海江田の仕草がいちいちエロティックでした。五十代なのに、カッコよくて、風情があって、何をしていてもさまになっています。大学教授だが、どこか情動的な面もあり、またそっけなくもあり、となかなか掴めない人物です。そんな彼がすると、たちまち艶めかしさが出てきます。


つぐみのほうは、とてもめんどくさい人だと思いました。自分もどちらかというと、こっちのタイプですので、つぐみに共感していました。つぐみは、恋愛に関して、めちゃくちゃ受け身なのに、言い寄られるだけじゃ相手を信用しない人です。自分に自信がないから、自分だけを見てくれる人と向き合う勇気がない。けれど人から愛されたいっていう不器用かつ厄介な思考パターンを持っています。めっちゃめんどくさい人です。でもつぐみはそんな性格だからこそ、どんどん踏み込んでくる海江田と恋愛ができるのだとも思います。


こんな二人の恋愛を読んでいて、自分は男なのですけれども、本当にドキドキできました。

石川正数 『響子と父さん』

響子と父さん (リュウコミックス)

響子と父さん (リュウコミックス)


変人のお父さんと、世話焼きの長女が織りなす、コメディの皮を被ったホームドラマ
「俺が幸せでないワケがないだろ!!」

―感想―


変人のお父さんと、彼の世話を焼く長女、そして家を出て消息不明の次女の物語です。物語は、長女の結婚話と次女の消息とが主です。このように基本的な話は結構重いです。でもシリアスな話のはずなのに、途中でそんな雰囲気を微塵も感じませんでした。読んでいるときは、コメディ一直線と感じました。それにも関わらず、最後には、ほろ苦さを含んだ家族の幸せの余韻を感じました。登場人物と彼らの行動が可笑しくも人間臭くあるからなのかもしれない、と思いました。


まず父さんのキャラがいい意味でひどい。ちょっとどころじゃなくて大分変人です。模造刀を振り回したり、話が回りくどかったり、娘を妻だと言い張ったりします。見栄を張ったり、話が分かりにくかったりするようなところはとても人間臭いですし、その見栄の張りかたが可笑しいです。


他方で、長女も常識人のようで、どこかが可笑しいです。仕事の締め切りが相手方のミスで伸びたら、自分がまだ完成していないにもかかわらず、その恩を売っておこうと考えたりする。また、徹夜で寝ぼけながら描いたために、原稿に落書きをして、そのまま編集に渡してしまったりもします。


このように、どこか変わっているところや、失敗するところを前面に出してきているために、重い話が可笑しくて面白く、でも結末はちょこっと甘く、ちょこっと苦いのだと思えるのではないでしょうか。

片山ユキヲ 『空色動画』

空色動画(1) (シリウスKC)

空色動画(1) (シリウスKC)


余計なことは考えなくていい、ただおもしろいからやる。
「ジョンは人のやってることに「おもしろい」ってとびついてきて最高のトコロまでひっぱってってくれるんだ!」
「孤独でもやもやしてる創作者を救済してくれるんです!」




―感想―


 女子高校生がみんなで集まってアニメを創るというお話です。ただ、アニメだからといって、彼女たちは「オタク」という訳ではありません。むしろアニメとは縁の遠そうな子たちばかりです。


 中心人物は、ジョンとノンタとヤスキチの3人です。アニメをやるきっかけを作り、後の二人を巻き込み引っ張っていくのはジョンです。彼女は、アメリカからの帰国子女で、そのせいかはわからないけれども、面白いことには飛びついて、すぐに実行に移します。画が生きているみたいに動いている、だから面白かった。ただそれだけ、他の理由もなく、ジョンは「みんな」でアニメを作ろうと動き出します。


 他の二人はジョンとは違って、アニメが面白いから、アニメ作りに参加したわけではありません。ノンタは、家のことや学校のことでモヤモヤした気持ちがあって、それをパンクにぶつけていました。それと同じようにアニメに取り組み始めました。ヤスキチは、クラスで孤独であり、それを画を描くことで紛らわしていました。そのため、アニメ作りは唯一の救済でした。こんな風に3人はそれぞれ違います。ただ、ノンタとヤスキチは、自分が抱え込んでいた気持ちを、ジョンは吹っ飛ばしてくれるという点で、ジョンに惹かれていました。ただ面白いからやる。それだけで楽しいんだ、ってことをジョンは体現しています。なんか、面白い!楽しい!っていうのが3人を通じて伝わってきました。なんだかまぶしくて羨ましいなあ、っていう気持ちになりました。


 また、描写がアニメの「動」の側面を表していて、アニメの面白さを引き立てているように思いました。アニメを表しているところとそれ以外とで表現方法が違うのです。その一つは線の太さです。アニメの部分はアメリカチックなアニメによくある太さで、デフォルメされています。アニメの部分は、まるでパワーパフガールズみたいです。この線の太さで、違いを表現しています。もう一つは、これが動きを表しているのですが、アニメの内容がマンガの中の風景から飛び出て表現されているところです。マンガの中のアニメは、普通テレビの画面から出てきません。または、コマの中でアニメだけを表現していると思います。けれど、本作では、アニメとそれ以外が一緒に出てきて、しかも建物を破壊していったりする描写がたくさん出てきます。そこが本当にダイナミックで、アニメをよく表していると思いました。


 以上のように、物語と描写が上手くマッチしていて、アニメの楽しさがよく伝わってきて、こっちまで楽しくなりました。それとともに、アニメに夢中に取り組めている姿が眩しくて、どこか懐かしい気持ちにもなりました。

鳥野しの 『オハナホロホロ』

オハナホロホロ (Feelコミックス)

オハナホロホロ (Feelコミックス)


「やっぱりおうちがいちばん
まっすぐで、温かいです。

―感想―


 女性同士の元カップルと、その片方の連れ子と、その子の父親の元恋人との奇妙な組み合わせでの生活を描いています。家族と言うよりも「おうち」(言い換えればホーム?)を求める真っ直ぐな気持ちが心地よかったです。


 作者は羽海野チカの元チーフアシスタントです。そのせいか、ぱっと見は似ています。何かしら過去にトラウマを持つ登場人物や、デフォルメの仕方、そして時折挟まれる叙情的なモノローグなどは両者に共通していると思います。あとは、表紙でも抱えている犬のぬいぐるみが象徴するような、メルヘンチックなところもそうでしょう。


 けれど、読み終わった感想としては、それほど二人が似ていないような気がします。そう思ったのは、画のタッチがのせいだと考えました。作者のタッチは、全体的に丸みを帯びていて、質感があります。そこから、艶めかしい感じを覚えました。羽海野チカのそれは、細くて淡くて、今にも折れてしまいそうな脆さが内在しているように感じます。このあたりが、物語の方向性の違いにも繋がっていると思われるのでした。

田中メカ 『お迎えです。』

お迎えです。 第1巻 (白泉社文庫 た 7-1)

お迎えです。 第1巻 (白泉社文庫 た 7-1)


「この痛みも
悲しみも辛さも
いつか暖かく
懐かしくなるのなら――」


笑えるし、切ない、とバランス感覚に長けている一品です。



―感想―


 読んでいて、いろんな感情が出てきました。切ないし、楽しいし、心暖かいし、というような様々な感情です。個人的に、それらの中では、「心暖かい」気持ちが強いです。その原因を考えてみたいと思います。


 まず、この物語の基本的な構造から考えてみます。未練を残す幽霊の願いを聞いて成仏させる、というのが基本的なお話です。現実の世界では、もし死んでしまったら、強く求めることであっても、願いを叶えることはできません。よって、死んでしまった人に大きな未練が残ることは、容易に想像がつくでしょう。けれど、その未練を解決することができたら、というところから本作は始まります。つまり、現実には「求めるのに叶わない」というテーゼがあるのに、それが覆るのならば…、というのが物語の主な構造になっています。


 未練を具体的にどのように解決するのかというと、幽霊がえんちゃんか阿熊さんの体の中に入って、その未練を擬似的に、または間接的に解消します。「求めるのに叶わない」ものが形を少し変えて叶う、ということになります。その過程を見ていると、切なかったり、心暖まったり、となんとも言えない複雑な気持ちになりました。


 幽霊になった人にとって、未練を解消することは、うれしいことだと思えます。第三者としてならば、それは粋だったりさりげなく優しい、と思えます。だから、心暖まるという気持ちがあります。他方で、幽霊になるまで強く求める願い自体が切ないと思えるし、それを受け止めるえんちゃんや阿熊さんの切ない気持ちにも共感できます。また、幽霊の未練の対象が他人にあった場合、その未練の解決後に幽霊となった人を思い出す、という情景にも切なさが散りばめられています。以上のように、物語の構造からは、切ないし、心暖かいし、という二つの感情が織り混ざります。


 ここで、キャラクターの方に目を移すと、そこには楽しいという気持ちがあります。まずは、あの世の幽霊を成仏させる会社に勤める二人、ナベシマさんとゆずこちゃんからはじめます。ナベシマさんは、お仕事中に着ぐるみ(だいたいウサギ)を着ているように、なんだかいい意味で幼稚です。ゆずこちゃんは、ちんまくて、様々なコスプレに身を包んでいて、可愛いです。


 そんな二人にバイトとして関わるえんちゃんと阿熊さんの二人に移ります。えんちゃんは、感情をあまり顔に出さないようで、いきなり体を幽霊に貸したりして、どこか軽いノリを感じます。そして、阿熊さんは男勝りで、猪突猛進に動き、表情豊かで、ほほえましいです。静と動、といった二人の対照的な性格は見ていて面白いです。以上のように、キャラクターは、全員から楽しい気持ちを感じました。


 今までの文章を振り返ると、どこか心暖まるのが一番だったという所が見えてきません。それでは、なぜ一番心暖まったのかというと、本線の物語と重なりつつも、別で出てくるもう一つの物語にあったりします。


 本作の途中から、「求めるのに叶わない」というテーゼをえんちゃんも阿熊さんも抱えることになります。阿熊さんは、ナベシマさん(本当はあの世の人)に対する叶わぬ恋であります。そして、えんちゃんの方は、ちさっち(えんちゃんのことを好きであり、告白してから成仏した幽霊)に対して抱いていた恋心を伝えられなかったことです。ただ、二人の間に、テーゼの切なさに多少違いがあります。阿熊さんは、ナベシマさんに恋心を伝えることができますが、えんちゃんにはそれができません。伝えることすら叶わないのです。完全な死人に対する未練をえんちゃんは抱えているのです。未練のベクトルが逆転していますね。そこで、物語はえんちゃんが痛みや悲しみやつらさを乗り越える、というもう一つの線を少しずつ含んでいきます。


 最終的に、えんちゃんはちさっちに想いを告げることができ、その想いが涙として昇華していく過程に心暖まりました。特に、えんちゃんが泣きながら、阿熊さんと鍋をつついているシーンには唇が緩みました。


 以上が、一番心暖まった気持ちが強かった理由です。本作は、楽しいし、切ないし、最後に心暖まる、といった感じです。ふとしたときに読み返したくなりそうな作品です。

麻生みこと 『天然素材でいこう』

天然素材でいこう。 第1巻 (白泉社文庫 あ 5-1)

天然素材でいこう。 第1巻 (白泉社文庫 あ 5-1)


「私は放っておけるの?」
この言葉をなかなか言わないヒロインが珍しいです。
その背景をきっちり描いている所がとても好感でした。

感想


 人物の内面に深く切り込んでいます。それだけならば、作品として良いか悪いかは別として、重い話になります。ラブコメの体裁をとっているにも関わらず、内面の深い描写をしているところに、本作品の面白い点と思いました。


 例として、ヒロインである二美を挙げます。彼女は、容姿は人並みであるが、特殊な側面を大いに持っています。また、普通な側面をも持ち合わせている女の子でもあります。


 特殊なところは、三点あります。一つ目は他人の先入観や価値観をあてにしないところ、二つ目は誰に対しても構ない懐の深さ、三つ目は自分で物を考え、他人を受け入れたうえで、ポジティブに行動するところ、の三つです。
これらの特徴をまとめると、どんな人にも自分で人物を見つめ、受け止め、プラスに再解釈してくれるというものです。まるで聖人君子です。言いかえるならば、地に根付いた強さを持っています。


 他方で普通な一面は、たった一つです。高雄との恋愛です。特殊なところとは異なって、高雄が関わると、全面には出さないが、独占欲を持っています。悩んだりする年相応の弱い部分も持っています。


 ところで、二美は映画の翻訳家になるという夢を持っている人物として描かれます。翻訳家などの映画に関わる人々を分類することによって、二つの側面を再解釈して、結びつけることができると考えます。


 映画に携わる人々を三つに分けると、役者、スタッフそして観客です。この三つで二美の夢を解釈してみます。二美は観客として、幼い頃から映画を観て育ちます。そこから、スタッフ(翻訳家)として役者を支えたい、という夢を持ちます。映画を作成する側に回っても、役者になろうとはしません。演る側にはならずに、あくまで観る側として携わろうとします。この姿勢は揺るぎないものであり、日々翻訳家という夢を語るに見合うだけの努力を行うような「強い」人間として二美は表現されています。


 しかし恋愛では、「弱い」人間として描かれます。二美は高雄と付き合うのですが、普段の強さとは対照的です。ちょっかいを出してくる千津、さらに千津を放っておけない高雄、に対して怒ることができずに悩みます。これをどう捉えるか、という所が難しいところだと思います。ここで、上で述べた三つの分類で解釈してみます。


 恋愛関係ならば、お互い「役者」でもあり、「スタッフ」でもなければならないと考えます。言いかえれば、「役者」のように自己を主張し、惹かれる部分、そして相手を理解し包み込む「スタッフ」のような部分、この両方がなければいけないと考えます。そうでなかったら片一方だけを、相手の全てとして捉えていることになります。これでは、偶像崇拝と一緒です。それでは、二美は高雄に対して、「役者」でもあり「スタッフ」でもあれたかというと、できませんでした。「役者」としてありたいという潜在意識はありつつも、それにフタをしていました。このことは、怒らずに悩み続けたことに繋がると考えます。


 以上、ヒロインの二美を例として『天然素材でいこう』の内面描写の深さについて述べてきました。その他の登場人物も、恋愛や夢に思い悩みます。その心理に大胆に踏み込んでいます。ラブコメで、内面にこれほど切り込んだ作品は、なかなか無いと思います。是非、読んでみて欲しいと思います。